完璧なゲームというのは

そんなには多くない。もちろんここで言っているのは自分にとって完璧なゲームということだ。何の文句もない。ああ素晴らしい。なんていいゲームだったんだろう! と思えるゲームは、さて一年に何本出会えるか。*1

古くは「スーパーマリオブラザーズ」「ゼルダの伝説」「ドラゴンクエスト3」「マザー」。SFC時代だと「ファイアーエムブレム聖戦の系譜」「伝説のオウガバトル」「第三次スーパーロボット大戦」「マザー2」「ストリートファイターII」。PS・サターンあたりでは「ペルソナ2」「パンツァードラグーン(全部)」「スーパーロボット大戦64」。電源不要だと「ファー・ローズ・トゥ・ロード」「アリアンロッド」「トーキョーN◎VA」「ディプロマシー」。*2

前置きがめったやたらに長くなった。
そしてその自分に取って完璧なゲームの一つが、間違いなくこのゲームである。

エースコンバット04 シャッタードスカイ PlayStation 2 the Best

エースコンバット04 シャッタードスカイ PlayStation 2 the Best

何が完璧かといって、このゲームは完璧なRPGなのだ。
狭義のRPGの話ではなく、GMがいて、NPCがいて、自分の分身がいて、冒険がある、というRPGの形態において、このゲームは一つの到達点を教えてくれた。


主人公は「メビウス1」というコールサインでしか呼ばれない。敵からは「リボンのエンブレム」とだけ呼ばれる。戦闘機乗りであるから当然だ。男か女か若いのかベテランなのか、何も語られることはない。
彼は今しも敗北を迎えようとする空軍の、おそらく最後の作戦に、自殺的な任務を帯びて出撃する。たくさんの仲間が死ぬが、彼は生還する。何倍もの敵と戦い、そして勝利する。

美麗なムービーで語られるのは、敵軍のエースと、彼をとりまく少年、少女、彼の恋人の姿だけだ。我々は彼らに感情移入し、敵のエースから語られる「敵のできる奴」としての自分、メビウス1を知る。彼らは本当にいとおしい存在で、視聴者としての我々は幸福を望まずにはいられない。

だが、我々は知っている。自分が、プレイヤーである自分が、彼らを殺す。彼らの物語を終わらせるデウスエキスマキナは自分なのだ。その二重の感情移入が、胸をしめあげる。

メビウス1”は決して語らない。だが、やがて味方の地上部隊は、自分が空を飛んでいるというだけで勇気を振り絞って突撃する。共に空を飛ぶ仲間達は、メビウス1さえいれば負けないと信じてくれる。敵軍の司令部は「リボンつきを最優先で落とせ!」とがなりたて、敵の若いパイロットは自機のエンブレムを見ただけで士気を失う。

GMの仕事は適切な脅威とストレスを与え、同時に賞賛と名声によってカタルシスを与えることだ、と私は常々思っている。このゲームで、無数のNPC達が行ってくれるのはそれだ。時には英雄としての勝利の快感、時には敵との奇妙な友情、そしてあきらかに残る、ほろにがい戦争の罪悪感。

恥ずかしい話だが、私はこのゲームをやりながらいつも泣く。市街地のド真ん中でミサイルを乱射して、ビルごと私に吹き飛ばされる敵兵に怒りを覚えて泣く。私に追いまくられて火を噴きながら地上に衝突し、悲鳴をあげる敵のために泣く。レーダーを確認するたび減っていく味方機のために、私がヘマをやったせいで壊滅した眼下の戦車部隊のために、敵に占領された街を救うためにその街を爆撃する自分の阿呆さ加減に。

それがコンピュータの中の絵空事であることはもちろんわかっている。それがわかっているのに、泣かずにはいられない。これが私がRPGに、というよりゲームに求めている究極的なものだ。このゲームは万人がプレイするに値する。墓場の底まで持っていってもいいくらいだ。


……ところで「エースコンバット5」の話をしないのは、単に金がなくて未だに買ってないからである。別にその、何か含むところがあるわけではない。念のため。

*1:もちろん作り手としてはかならず「オレならこうするが」というのはあるけど、それはまた別よ別

*2:ここに書いてないゲームが嫌いとかそういう話ではない。「素晴らしいゲームだがこれはどうよ?」と思っているゲームは外れている。例えばガンパレとか