インテリぶってモテようという高尚な目的のための日記

ウィトゲンシュタインを再読する。
「人はルールに従っているから共同体に認められるようなプレイをするのではなく、共同体によって正しいと認識されるプレイをしなかった時にルールに従っていないとみなされる」という彼の唱えたパラドックス、世界というものを完全な意味で論理的に唱えることのできない人間という悲しみとおかしみは、私に多大な示唆を与える。
我々はニュートン物理学的な、純粋理性の世界に生きることができない。我々の制度も概念も自然言語も、すべて人間という精神の恣意によって運用される何者かである。
これこそが彼の唱えた『語り得ぬもの』であり、おそらくはベーコンが経験主義として位置づけた何かであり、メタチョムスキー言語の指向すべきタオ的なサムシングであり、オーガニック的なことごとがイデでオーラ力だからオーバーマンなのである。
要するに何もわかっていないのだがとりあえずわかったような言葉を並べ立てているのであり、従ってこの日記にオチはない。