ゲイリー・ガイギャックスは死んだ! もういない!
だけど、俺の背中に、この胸に! 一つになって生き続ける!
と言い出しますとこれはグレンラガンですが、それはともかくとしましてちょっと思ったこと。
ガイギャックスがD&Dを作った時、あたくしはまだこの世におりません。あたくしが1979年生まれですから、5年の歳月が必要になります。
国産の本格的RPGの草分け『ローズ・トゥ・ロード』の発売が1984年で、あたくしが小学校にあがるかあがらないか。新和版D&D、いわゆる赤箱の発売は1985年。あたくしは小学二年生で、ちょうどスーパーマリオブラザーズ発売の時。折しも阪神タイガース優勝の年であり、阪神の優勝と日本のTRPGブームの本格始動が時を同じくしていたことは、おそらく偶然ではないでしょう。阪神が勝つとTRPGが売れる*1。ここは試験に出るところです。
……脱線しました。
ですので、実はあたくしは『D&D』ブームはおろか、『ソードワールド』*2の本格的なブームの時にもまだTRPGにのめりこんでいません。
意識的に遊び込むようになったのは1992年、GURPSの日本語版からです。以来遊んできたTRPGを列挙すると「日本TRPG史(1992-2008)」が出来上がってしまいますのでここは割愛いたしますが、ガイギャックスの名前やその業績を意識するようになるのはかなり後でした。
さらに後進を振り返ってみますと、華南*3あたりになると、本格的に始めたのが『魔獣の絆』や『S=F Ad』あたりだったりしてもう隔世の感があります。実際、あたくしより若いライターの人で、ソードワールドをアマチュア時代に遊んだことがない、という人もちょくちょく見かけます。
何が言いたいのかってえますと、ガイギャックスの業績は歴史になり、そして今神話になろうとしているということです。
先達との別れは悲しいものですが、彼を直接的に知ることのない世代(私も含めて)は、ガイギャックスの残したものを受け継いでこれからも発展させていきます。
そして、私が死んだ後も、きっと誰かがこのバトンを受け継いでいくことでしょう。
永遠のものは、間違いなくそこにあるのです。
……ええ、すいません。そのなんです、仕事に戻ります。具体的には。