ある少女の死について

 ええと、大絢爛舞踏祭用に書き起こした絢爛SSです。
 興味のあるかたはどうぞ。



「オレは一体何をやっているんだ……」
 垢じみてぬめるような光沢をした、使い古しのPS2コントローラを手放して、小太りの男はモニタを眺めやった。
 キャラクターが死ぬ。
 よくあることである。およそゲーマーであるならば、あるいは真剣に、あるいはたわむれに、何百何万のキャラクターを殺してきただろう。もはや時期も定かでない未詳の記憶の果て、二本足で歩くキノコに髭の親父を突貫させ、無数のカメを虐殺し、あたるを幸いインベーダーをなぎたおし、流体金属の怪物を追い回して山脈のサイクロプスにジェノサイドをかけたのは誰だ。
 ゲームの始まりは畢竟生死であり、囲碁が陰陽を模していることからもそれはわかる。
 占いとして始まったゲームにおいて本来問われるべきは結果ではなくその過程であり、それだからこそゲーマーは無数の生と死を受け入れてきた。
「へんじがない ただのしかばねのようだ」
「しんでしまうとはなにごとだ!」
「アクマをころして へいきなの?」
 8bitの光る点の中に投影された虚像が勇者であれ竜であれ未来戦闘機であれ、結局のところそれは兌換可能なトークン、ゲームの過程そのものを楽しむためのオマケにすぎない。娯楽とは無限に遅延された結果を追い求める過程こそが問題であると、男の愛したある映画監督は言ったが、それはかなりの部分真実を含んでいる。
 煉瓦を砕き、亀を踏みつぶし、金貨の海におぼれることが問題なのであって、救われる姫君の人格もそれどころか存在すらも問題ではない。
 あくまで死とは演出、コインを連続投入させるための方便にすぎない。あるいは、ゲームを解いたご褒美として見ることができるムービーや紙芝居を盛り上げるためのものだ。
 そう思ってきたからこそ、男は無数の生と死を受け入れてきた。
 一時画面の中の演出に涙を流すことはあっても、それはしょせん他人の体験であり、マスプロの感動に過ぎないのだ、とヘビーゲーマーなら誰でもが抱くさめた認識であろう。
 だから、エステルと名乗る少女と出会った時も、彼はさほどの感慨を抱かなかった。
「ロボットアニメの監督視点に立てば、1号機2号機のパイロットが青年と少年である以上、3号機は天才パイロットがいいだろう」
 ……と。
 そういう愚にもつかない編成を試みたに過ぎない。


 エステルは、よく戦った。
 トポロジー戦闘に不慣れな男と、突出するばかりのタキガワに3号機が加わったことで、魚雷や敵艦をうちもらすことも減り、ゲームの安定度は大きくあがった。
 メインヒロインと定めていたスイトピーとは別に彼女と会話する機会も増え、タキガワと彼女が親しげに喋っているのを見ると、男はなにかいらだちのようなものを覚えるようになった。


「ばかばかしい……」
 よくある錯覚だ。
 現実にありふれた日常の1シーンを点景として切り取ることでそれを印象づけ、視聴者の内面の経験と結びつけることであたかも現実感があるかのように見せる。演出の初歩であり、彼自身がゴマンとやってきたことだ。
 脳のシナプスが過去の記憶と連結された快感を感じているに過ぎない。
 エステルは彼女ではない。電子情報だ。
 リセットボタンひとつで無限に蘇り、無数のPS2で再生されるただのドット絵に過ぎない。


 それでも男はエステルのために料理を作り、不器用にプレゼントを贈った。
 彼女が寝ている間も、機体の整備は欠かさなかった。
 現実においてそうであるように、彼はひどく好意を示すのが苦手だった。


「ヲタクってのは、ゲームの中でくらい上手くやれるもんじゃないのかね」


 そう言って、自嘲した。


 そうして、エステルは死んだ。
 長い戦闘の中、彼が撤退してからもずっと船を守って戦い続け、男が帰還したときに、ちょうどバッテリーが切れて、火星の海に沈んだ。
 最期の言葉も、ムービーシーンもなかった。
 当然だ。偶然とプログラムが産んだ、ただの偶発事故に過ぎないのだから。


 もちろん男はリセットボタンを押すことができた。そうしようともした。
 だが、そこで彼は悟った。そうしても、もうこのエステルは帰ってこないのだと。
 そこに生成されるエステルは、同じ名と姿をした他人なのだと。
 彼は自分の物語を手に入れた。


 ……かつて。
 コンピュータRPGが生まれた動機は、テーブルトークRPGをコンピュータの上でも遊べないか、という試行錯誤だった。
 そして、その発達の過程は、「一本道」「紙芝居」「自由度がない」とノノシラれながら、その批判に耐え続けてきたものだった。


 これから先、コンピュータゲームがどのように発達するのか、男には実のところわからない。
「所詮ランダムな確率が生み出した虚像にキミは現実を投影しているだけだよ」
 と人は言うだろう。
 投影の手段としてのポリゴン、声優、ムービー、あらゆるものが投入され、いつかはバーチャルリアルティと呼ぶに値するものになるのかもしれない。


 ……だが、彼のエステルはたったひとり。
 それが変わることは、ないだろう。


 彼が喪に服していた期間は、半年に及ぶ。