泣けるガンダム

泣けるガンダム作品、というお題で一晩語るのは決して難しいことではない。
『めぐりあい宇宙』のラストシーンは何度見ても泣く。フォウ・ムラサメエルピー・プルのはかない最期には泣かずにはいられない。アクシズを支えるジェガンギラ・ドーガを見ては泣く。セシリーの花を見て泣き、鋼鉄の七人を読んで泣き、リーンホース特攻で泣き、マフティーの最期で泣く。古本屋でアベニールとガイア・ギアを見つけてまた泣く。
東方先生の散り様を見て泣かぬものはおよそ人情があるとは認めがたいほどであるし、ヒイロ・ユイの覚悟には泣かずにはおれない。Xは全編泣けるのだが個人的にはエスタルド編が最高潮で、∀に至っては自慢じゃないが本当にあらゆるシーンで泣ける*1。種ならオーブ攻防戦、Destinyなら一連のステラ周りで泣く*2
かのごとく、泣けるガンダムを羅列することは決して難しくない*3

機動戦士ガンダムさん みっつめの巻 (角川コミックス・エース 40-20)

機動戦士ガンダムさん みっつめの巻 (角川コミックス・エース 40-20)

で、最近その中でもひときわ泣けるのが、大和田秀樹氏の『機動戦士ガンダムさん』内の短編連作『宇宙島のガルマくん』である。
筋立てはいたって単純で、かのガルマ・ザビを昭和30年代ごろの幼稚園児に見立て、スペース・コロニーサイド3での長屋人情生活をほのぼのやるだけの生活マンガである。
なんでえ、よくあるプロットじゃねえか、とお思いのあなた、さにあらず。
これがおっとろしくビターな読後感なのである。インテリニートギレン・ザビは彼なりに理想と愛を追った結果独裁者を志し、気のいい港湾労働者の親方に過ぎないデギン・ザビはつきあいで買った政治家ジオンのパーティをきっかけに政界に首を突っ込む。無邪気なドズルやガルマはそれを、自分たちの生活のためと歓迎して見ているが、利発な妹キシリアだけはきな臭い匂いを感じ取っている……。
そう、この作品はあくまで、『機動戦士ガンダム』で書かれた“あの一家の破局”を前提としたホームドラマなのである。
そう考えるとあらゆる物が泣ける。弟の貧困を笑われて本気で怒るニートのギレンに泣ける。ジオン・ダイクンの政治パーティでタッパーにおかずを詰め込んでいるドズルに泣ける。「あんたが党首ならいいのに」と言われて照れ笑いするデギンに泣ける。忙しい中ただ一人現実的に家計をやりくりしているキシリアに、そして何より一家団欒に目をきらきらさせるガルマに泣ける。

もちろん公式設定とはいろいろかけ離れているし、単なる生活ギャグとしても一級品に面白い*4
だが、それ以上に、おそらくはこのように善良な人々が権力にとりつかれ、しなくてもよかったはずの殺し合いをしてしまうところに、戦争の悲劇が、ガンダムの本質があるのではなかろうか。
機動戦士ガンダム』小説版には、キシリア・ザビがかつてキャスバルアルテイシアのような金髪の子供を持つ優しいお母さんになる夢を見ていた少女であることが語られるシーンがある。“0079年の”キシリアはそれを子供の夢と笑っているのだが、どんな独裁者にだってそんな過去はあったのだ……。

*1:模型屋で流れていた「ローラの牛」でいきなり泣き始めたことがある

*2:ダブルオーは完結してないので、まだどこが最泣きかは決めかねている。現状、1話冒頭で0ガンダムを見る刹那が最泣き

*3:ゲーム、コミック、小説、OVAそのほかのスピンオフ、及びプラモに関する話題は割愛する。紙面の都合でご理解いただきたい

*4:後、本当にキシリア閣下に萌える。いつか大和田氏と組んでキシリア小説を書きたいほど萌える