小説『ダブルクロス・ストライク 天上の薔薇〜Rosa Mystica〜』

「たぶん、あのアパートで過ごした時間が、私の人生の一番豊穣な時だったんだろうと――――そう、思うよ。シャル」
 揺籃の時は終わった。
 超人傭兵部隊、“ノインテーター”の攻撃によって、太平洋に没した米第七艦隊。
 横田、府中、横須賀、岩国、沖縄――――
 それは、日常の終わりを告げる鐘。世界を包み込む紅蓮の炎。
 希代の戦略家、エルキュール・ド・サンドリヨンによってもたらされた、黙示録の幕を開く、たったひとつの言葉。
 偽りの日常に、否応のない終わりを。
 幻想の安息に、完全なる終焉を。
 不足した現実を埋め合わせる、どうしようもないたった一つの欠片(ピース)。
「以蔵――――。悪いな。ここからは、大人の時間だ」
 その言葉の名は、“戦争”。


 *


「“ロード・オブ・ウォー”。あるいは“不在のL”」
「ルリタニア、ラトヴェリア、シルダヴィア、ボルドリア、それにサン・テオドロス。五カ国のUGN支部支配下に収め、国連加盟国の30%をコントロール可能な、戦争の魔女」
「蜘蛛の巣の中心に座すジョロウグモのように、あらゆる紛争の背後で糸を引いている女」
「“特異点”だけがあれを封じるフタだったというのに!」
 何もかもが、もう遅い。
 焦燥も、後悔も、改悛も、懺悔も、すべては天に届かない。
 紅蓮の炎に燃え上がる街。
 泣き叫ぶ子供たち。
 天を仰いで救いを求めてみても、降り注ぐのは爆弾の雨ばかり。
「クロドヴァと同じだ――――」
コソボとも、ソマリアとも、コンゴともな。そう――――セオドア兄様が見たのと同じ、あの地獄だ」
 懐かしい思い出を飲み込んで、黒い雨が街を包む。
 以蔵は立ち尽くし、もみじは泥にまみれる。
「マーヤが――――もう、動かないんだ」
 目をそらしていたことに、いつか精算をしなければならない。
 どれだけ時を延ばしても、それはかならずやってくる。
 死臭、悲憤、業炎。
 それは、TVの向こうに押しやっていた、日常の彼方にあるもの。
「あの頃は楽しかった。シャルがいて、セオドア兄様がいて、そしておばあさまがいて……」
「わかっているはずだ。あの庭にはもう、戻れないことを」
「ああ――――ほんとうに、好きだったよ、シャル」


 *


 闇の中でほくそ笑む影がある。
 数億の屍を積み上げてでも、己の妄執にしがみつこうとする闇がある。
 オーヴァードもジャームもない。
 そこにあるのは、人の業だ。
 積み重ねてきた、哀しみだ。
「ルカーン財団千年の歴史は、あの娘を生み出すためにあった」
「――――それが、あなたの“プラン”ですか?」
「ああ。禁断の交わりが産み落とした、存在してはならない四人目の“賢者”。モナドの鍵を開く、ヴリルの本当の子」
「では、あの都にトゥーレがあると?」
「さよう。ハウスホーファーが東方を目指し、ガウェイン卿がかの地に聖杯を求めたのは偶然だろうか? 否、断じて否。人類の永遠の夢。永劫楽土、シャンバラ。その門は、かの地にある」
 迷信。
 迷妄。
 妄想。
 幻影。
 それが権力と結びつけば、神話と呼ばれ、神が生まれる。
 ただそれが力を崇めるだけの皮相な信仰であったとしても、神は、神だ。
「勇気だけでも、希望だけでも、愛だけでも、戦争には勝てない」
 それは、戦争という神に捧げられた巫女。
 ただひとつ、勝利のみを目的にした無慈悲なシステム。
 人としての幸せを知らず、世過ぎをする知恵を持たず、ただ人をあやめるための機械。
「灰かぶりのヘラクレス。お前のガラスの靴はどこへやった?」
「そんなもの、最初からなかったさ。十二時の鐘は鳴って、十二の偉業も終わりを告げた。ここにはお姫様も王子様もいやしない。お前はナイトにはなれないし、私もプリンセスにはなれないんだ」


 *


 崩れ落ちる京都タワー
 紅蓮の炎に包まれる青少年センター。
 人気の絶えた古都に、剣戟の音色だけが響き渡る。
「――――シンデレラのガラスの靴ってのは」
「? こんな時に、何を……?」
「太陽の神ホルスが美しい女奴隷をあわれんで与えた、バラのサンダルが起源なんだそうだ。サンダリオンが転じて、サンドリヨン。灰かぶり、と呼ばれるようになった。薔薇はキリストのシンボルであり、イシスに抱かれるホルスもまた、聖母子像の原型と言われている。つまり、女奴隷というのはね」
「――マグダラの、マリア?」
「あるいはルシファー。薔薇は救世主であると同時に、異教の象徴でもある。そして灰の中からよみがえるもの。フェニックス、ベヌウ、アトゥム、ラー、そしてホルスの父オシリス
 仕組まれた子供たちの、仕組まれた戦い。
「薔薇の歴史は、品種改良の歴史。接ぎ木という名のクローニングによって生み出され続ける、自然ならざる天上の美。似ていると思わないか、オーヴァードに」
 ただ一輪、ただ一輪の薔薇を咲き誇らせるそのために。
「至高の天に咲き誇る、究極栄華のその花は!」
「永劫楽土の鍵となり!」
「我ら一切衆生を救う花!」
「その花の!」
「その花の名は!」


ダブルクロス The 3rd Edition
  小説『ダブルクロス・ストライク 天上の薔薇〜Rosa Mystica〜』


 富士見マロン文庫より 13月32日 発売未定!


「たぶんあの時――――殺されたかったんだ。キミに」

しまった、モルガンをすかっと忘れてた。