つれづれ

1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)

1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)

すばらしい新世界 (講談社文庫)

すばらしい新世界 (講談社文庫)

だからどうした、と言われても困るのですが、かのParanoiaも含めて欧米のディストピア小説というのは、「娯楽とセックスとスポーツと音楽がふんだんに与えられ、自由がない管理社会」*1ということが多いわけですが、日本で語られる時は物資が不足していて娯楽は存在しなくて人々が唯々諾々と労働に従事している世界、ということになりがちだなあ、と思うわけであります。
このへんはたぶんピューリタニズムとか文化圏による食糧事情の違いとかいろいろな観点から論評が可能な気がするのですが、どなたかよい評論をご存じなら紹介してやってください。
満足した豚がどうとか不満足なソクラテスがどうとか言いたいわけではなく、単なる「どくしょかんそうぶん」なので、政治的な意図は別段ありません。

*1:Paranoiaにはセックスはないし、1984とすばらしき新世界でもいろいろ違うし、すべての小説を網羅したわけではないので、論以前の問題ですが