天下繚乱・十九の話「コンセプトのはなし」

 三輪が代理更新させて頂きます。
 小太刀氏も復帰への意欲を見せております。もう少しお待ち下さい。

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ええ、今回はコンセプトの話です。
まあ、基本的に自分の作るRPGのコンセプトは言うまでもなく「みんなで楽しく遊ぶこと」であります。あります、が、それだけであれば、カラオケでも映画でもマクロスF*1でもかまわないわけですが、そこはTRPGを選んでいただいたからには、TRPGならではの楽しみが必要と思います。

TRPGの楽しみとは何か、という話をしていると長くなりますが、そのひとつは、自分が考えるヒーロー*2を演じ、一定のルールの枠内で活躍*3し、それによってみんなで楽しい時間を過ごすことにあると思います。

英傑と妖異、というのは、この枠組みのために作られました。
時代劇というのは大変広いジャンルです。ルールブックでも触れましたが、「極悪人はブッ殺すしかない」というティム・バートン版『バットマン*4のような世界観もあれば、「どんな悪人でも更正の機会を信じて殺してはならない、法の裁きにゆだねるのだ」という『バットマン・イヤーワン』*5のような世界観もあります。これは、こしあんつぶあん、ハンバーグとカレーライスがそうであるように、どちらが正しい、間違っているという話ではありません。

これを表現するためのギミックが、妖異と、彼らの中でも強大な存在であるボスキャラクターが持つ《外道属性》です。《外道属性》を持つ敵は総じて強大であり、そして【HP】が0になると[戦闘不能]*6にならず、即座に[死亡]します。
つまり、「こいつは改心しないんで、遠慮なくぶった斬ってかまわないよ」という敵*7には、《外道属性》を持たせればよろしい。あるいは、「人間ではなく妖異である」としてしまってかまいません*8
逆に、人間*9であれば、【HP】が0になれば[戦闘不能]になるだけですから、捕らえた、でも逃げ去った、でも演出は自由にやればよろしい。もちろん、エネミーであれば「切り倒した」としてもかまわないわけです。

重要なことは、なるべくお互いのイメージをすりあわせることである、と考えます。
妖異がこの世界における絶対的な悪、火山の噴火や地震のような立ち向かわざるを得ない脅威として設定されているのは、価値観や倫理観、身分の違う英傑たちを共闘させるためです。維新志士の異邦人と新撰組が「ひとまず手を取り合う」ためには、敵は妖異であったほうが、共闘は楽になるでしょう*10
同様に、悪党を斬るべきかどうかで英傑たちが悩み始めたら、「あやつは《外道属性》を持っているよ*11」とぶっちゃけてかまわないのです。

マア要するに何が言いたいかと言うと、「困ったらとりあえず妖異の仕業にしてチャンバラをやってぶった斬れば天下繚乱のシナリオになるよ*12ということです。
付属シナリオも参考にして、楽しんでください!
いよいよ、明日が発売です!

*1:DVD、ブルーレイ、小説、コミックいずれも好評発売中でございます。是非お買い求めください(揉み手)

*2:この場合は、歌舞伎や落語における主人公、程度の意味でして、決して全身タイツを着て手からビームを出すアメリカンヒーローに限定しているわけではありません。為念。白浪五人男も熊さん八っつぁんもヒーローでございます

*3:データ的な強さに限らず、演出やロールプレイも含めた意味で

*4:カオスフレアファン必見

*5:カオスフレアファン必見

*6:ひとまず動けなくなった状態。瀕死でも捕縛された、でも戦意を失った、でもひとまずGMが決めればよい

*7:妖異でなくてもかまいません。《外道属性》を持った人間を敵にすれば、より、所謂“一般的な時代劇”に近づきます

*8:もちろん、【HP】が0になれば妖異の憑依が解けて助けられるよ、という敵も出せます

*9:ロボットや妖怪なども含めて

*10:もちろん、「後の未来において長州の妨げとなる幕府要人何某に天誅を」「何某は後の未来において御陵衛士に与して新撰組の害となる男、よしここは共闘だ」という込み入ったプレイをなさるのはコンセンサスがとれている限りにおいて自由です

*11:あるいは「持っていないよ」でもかまいません

*12:信じられないかもしれませんが、小藩の下級武士の哀感だろうが、船宿の人情話であろうが、長屋の花見だろうが、最後に妖異さえ出してしまって「こいつが全部悪いのだ!」というと、何となく終わった気になります。このあたりは、『セーラームーン』シリーズや『少女革命ウテナ』などが参考になります